久保田 豊
永塚利一著 B5判
本体価格4,620円(税込) 送料サービス
戦前から戦後、世界各地で発電土木を通じて開発途上国の経済基盤づくりに貢献してきた人物がいる。それが日本工営創業者の久保田豊氏である。久保田氏の事績は世界的規模を誇った北鮮の水豊発電所70万キロワットをはじめ、ミャンマー、ベトナム、インドネシア、ガーナなどの開発途上国において、まさに海外技術コンサルタントの先駆けとなった。そして、同氏の半生は、現代を生きる技術者、事業家に大きな視野と深い洞察、熱い志を与えてくれる。久保田氏の生誕から130年、また久保田氏が初めて起業した「久保田工業事務所」の設立から100年。伝記作家永塚利一渾身の一書が半世紀ぶりに甦る!
単行本の主なあらすじ
〈天竜川水系の水力開発に携わるが会社が倒産〉
久保田豊氏は明治23(1890)年、熊本県阿蘇郡で生まれた。身体は細いが向こう気が強く、しかも利発な少年で、中学の頃から技術者になることを漠然とながら思い描く。東京帝国大学を卒業後、内務省に入職するが、志との乖離に悩み、諸先輩の奨めもあって、天竜川水系の開発を計画していた茂木商会に活躍の場を求めた。ところが、世界的な経済不況で茂木商会はあえなく倒産してしまう。
〈日窒コンツェルンの野口遵氏と運命的な出会い〉
久保田氏は「久保田工業事務所」の設立で再起を目指すが、日窒コンチェルンの野口遵氏との出会いによって、当時、世界最大規模の水豊発電所70万kWなど朝鮮での大規模水力開発を成功させる。さらに、海南島の鉱山開発でも辣腕を発揮するなど、当代一流の技術者、事業家として地歩を固めていく。
〈戦後は東南アジア諸国などの開発に貢献〉
しかし、日本の敗戦により裸一貫で帰国し、同じく外地から引き揚げてきた多くの職員の面倒を見ながら奔走。日本工営を設立後は、東南アジアの途上国で開発協力を進め、その案件の一つが戦後賠償の第一号案件にもなる。そして、相手国の発展のために尽くす久保田氏の事業姿勢や行動は、各国から深く信頼され、アフリカや南米諸国からも国土開発の協力を求められるようになっていく。
永塚利一
1906年神奈川県生まれ。「電気日々新聞」専務取締役編集局長、日刊工業新聞業務局長、「和光社」社長を経て、1957年電気情報社社長。1986年相談役に就き、1997年7月逝去。主な著作に「新井章治の生涯」「私の歩いた道―北松友義」「渋澤元治」「福田節雄小伝」「丹羽保次郎人と業績」「瀬藤象二小伝」などがある。